代表取締役 取締役社長
CEO, COO
日東電工株式会社(以下Nitto)は、2018年10月25日に創立100周年を迎えました。
Nittoの発展を長年支えてくださったお客様、株主様をはじめ様々なステークホルダーの皆様へ心から感謝申し上げます。
Nittoは1918年に、当時、第一次世界大戦により国外からの材料調達が困難となる中、電気機器に欠かせない絶縁材料の国産化を実現するという志のもと、日東電気工業株式会社(現・Nitto)として東京大崎にて創業いたしました。
創業直後のNittoには多くの危機が押し寄せましたが、一つ一つの製品にNittoの持てる全てを注ぎ込み、顧客奉仕を追求することで、それらを乗り越え、現在のNittoグループの礎を築きました。
以後もNittoグループはお客様とともに歩み続け、現在では、グループの基幹技術である粘着技術や塗工技術をベースに、エレクトロニクス業界や、自動車、住宅、インフラ、環境および医療関連などの領域で、様々な製品を提供しグローバルに事業を展開しています。
今、世の中では、新たな時代に向けて、社会課題がますます多様化・複雑化し、これまでにない速さで変化しています。このような中、Nittoグループは、社会課題解決と経済発展を両立し、人々のより快適な暮らしを実現していくことに挑戦し、これまで以上に、世の中にとって必要とされる存在であり続けたいと考えています。
創立100周年を越え、これからもNittoグループは、経営理念「新しい発想でお客様の価値創造に貢献します。」の下、社会の変化をチャンスと捉え、驚きと感動を次々と生み出し、社会に認めていただける価値を継続的に創出してまいります。
引き続き、Nittoグループをご支援くださいますようお願い申し上げます。
100周年ロゴは、スマートフォンや、車、インフラ、医療など私たちの身近で活躍するNittoを表現しています。
Nittoは、70以上もの業界で約13500種類の製品を提供する総合部材メーカーに成長することが出来ました。
これまでの「皆さまへの感謝」と「次なる100年」へ
もっと社会のために、もっと健やかな暮らしのために、もっとあなたの笑顔のために。
Nitto Everywhere ~人々の笑顔の裏には必ずNittoがいる~ を目指して、チャレンジしていく決意を込めています。
基礎づくりの時代
~東京大崎での絶縁事業基盤づくり~
1918年10月25日、「日東電気工業株式会社」を東京大崎に設立。
当時は、綿紡などの軽工業に続いて、鉄鋼造船などの重工業も飛躍的な発展を遂げている時代。
その発展をささえるインフラとして、急速に普及していったのが電気でした。
おりしも、その電気を利用する電気設備や電気機械等は、多くを欧米からの輸入に頼っていたため、第一次世界大戦の影響により、急ピッチで国産化しなければならない情勢になっていました。
そして、電気設備や電気機械等に利用される電気絶縁材料についても、国産化が急務である中、日東電気工業は、その一翼を担うために誕生しました。
第2の創業期
~戦後大阪茨木での再スタート~
東京大崎工場を戦災で焼失したものの、戦後大阪の茨木で再スタート。1946年電線絶縁用テープ「ブラックテープ」の量産を開始し、テープ分野に進出。この時代には最終消費財である乾電池やテープレコーダーをマクセルブランドとして製造販売。その高い品質で売り上げを伸ばしました。
1956年、社是「一品一巻日東の総力、顧客奉仕に貫く日東」を制定。この考え方は今のブランドスローガン"Innovation for Customers"に連綿と引き継がれています。
また、1957年には、現在に続くNitto独自のマーケティング手法である「三新活動※」がスタートしました。
※三新活動
Nittoの技術や製品に対して「新用途の開拓」、「新製品の開発」、「新需要の創造」の三つの「新」を追求するNitto固有のマーケティング活動。市場に対し、先手を打つことで、あらゆる業界のお客様の期待を超え、「こんなものが欲しかった」と言われる製品を生み出す。
例えば、「ビニルテープ」の用途は、ビニルの持つ機械的強度、防食性、耐候性、耐薬品性から、絶縁用途だけでなく、防食用、農業用などの用途に展開。
工業材メーカーとしての出発
~マクセル分離から~
1960年代は、Nittoにとって大きな節目となる時代。
高度経済成長期真っただ中の日本において、急成長が期待できる分野であった工業用テープへの進出と拡大を決断。1961年、消費財部門マクセルを分離し、工業材メーカーとしてさらなる飛躍を目指しました。
1962年、現在も国内の粘着テープ主力工場である豊橋工場操業開始、1967年、関東工場操業開始と、製造拠点を増やし、1968 日東電工アメリカ設立、1969 台湾日東電工設立(初の海外生産)と、海外にも進出。現在の礎を築いた1960年代は、ちょうど創立50周年(1968年)を迎える節目の時代でもありました。
「三新活動」の浸透により、様々な技術や用途への展開が始まり、工業用テープの売り上げは大きく伸びることになった。
代表製品:
事業の多核化とグローバリゼーション
~医療、エレクトロニクスなどの分野へ進出、海外展開やM&A加速~
1973年のオイルショックによる影響を受け、いかなる景気変動にも耐えうる強固な企業体質をめざして多核化を推進。偏光板や透明導電性フィルなどのエレクトロニクス分野に加え、医療分野や膜事業分野に参入し、さまざまな製品を誕生させました。多くの皆様に長く愛用されているフロアクリーナー「コロコロ®」が誕生したのもこの時期です。
1974年には、ヨーロッパにおける生産子会社となる、日東ベルギーを設立。後にベルギー国から、優良企業として何度も表彰を受けるまでに成長しました。1987年には、膜事業の世界的な展開を図るため、米国・ハイドロノーティクス社を買収。
社名を日東電気工業株式会社から、日東電工株式会社に変更したのも、創立70周年となる1988年のことでした。
事業部制の導入から「グローバルニッチトップ™」戦略へ
~継続的な成長を実現する経営基盤の確立~
1989年事業部制を導入。顧客奉仕の原点に帰り、ダイナミックな市場変化へのスピーディーな対応を図りました。また、1996年には、世界的に成長・変化するマーケットを見極めて、Nittoが優位性のある技術で戦えるフィールドを特定して世界トップシェアを狙う「グローバルニッチトップ™」戦略もスタートしました。
また、製品だけではなく、偏光板の原反をお客様の工程内にそのまま持ち込みそこで切断、検査、ガラスまでの貼り合せを一貫でおこなう新しいビジネスモデル「ロールトゥーパネル®」を開発。生産性アップ、梱包資材の低減、偏光板歩留りアップ、省人化などお客様に新しい価値を提供しています。
Innovation for Customersをスローガンに新たな価値を提供
~健やかで快適な暮らしを支える会社としてのさらなる変革~
2008年に起きたリーマンショックは、我々にも大きな影を落としました。ビジネス環境変化への素早い対応、「無・減・代」※と「車座」という独自の経営スタイルで即座に回復し、その後大きく業績を伸ばしました。
2013年、「日東電工」を「Nitto」と表記し、現在の企業ロゴに変更、2014年にはブランドスローガン「Innovation for Customers」制定。2017年からは男子プロテニスシーズンのクライマックスを飾るイベントである「Nitto ATPファイナルズ」のタイトルスポンサーを務めています。
主力事業では、「超薄型偏光板」の開発により、従来品より大幅な薄型化、低収縮化が可能となり、より薄く、よりフレキシブルなディスプレイの実現に貢献しました。
2018年、Nittoは創立100周年。次の100年に向けて世界中のあらゆるところで人々の健やかで快適な暮らしをより良くしていきたいと考えています。
※無・減・代
「無(む)・減(げん)・代(だい)」と称する「無くす」「減らす」「代える」の3つの視点からなるコスト構造の抜本的な改革を軸とした成長プラン